コーヒーはどのように発見され、今の形になったのだろう?
コーヒーの起源には諸説あり、はっきりとしたところはまだ解明されていません。
現在有力とされている説に絞り解説していきます。
コーヒーの起源は、山羊飼いのカルディ発見説とイスラム教シーク・オマール発見説の2つが現状有力とされていますが、はっきりとしたところは未だ解明されていません。
現状でわかっているところをまとめていきます。
1.山羊飼いカルディ発見説
アラビア人の山羊飼いカルディはエチオピアにて放牧生活を送っていました。いわゆるエチオピア起源説とも呼ばれるのがこの説です。
ある日カルディは自身の飼っている山羊たちが、やたらと元気に飛び回っていることに気づきました。元気の秘訣が気になったカルディは山羊の行動を観察してみることに。
すると、元気な山羊たちは近くに実っていた赤い実を食していることに気づきました。気になったカルディは自身もその実を食してみることに。…今考えると山羊が食べてるとはいえ、知らない木の実を食してみようという勇気が素晴らしいですね。
食してみるとカルディ自身も爽快な気分になる事を感じました。ここがコーヒーの起源とされています。そこをたまたま通りがかった僧侶が驚き、その実を持ち帰り僧院の人々にも食べさせたことにより広まっていったとされています。…この僧侶もすごいな。
はるか昔のことで、この説は何年ごろの話かはっきりしていません。それゆえ、もう一つの説とどちらが先なのかわからず、2つ説が並んで解説されているのでしょう。
2.シーク・オマール発見説
もう一つの説が、13世紀頃イスラム教の聖職者シーク・オマールが発見したとされるものです。
シーク・オマールはモカの街で祈祷により多くの人の病を癒していました。しかしある日、モカ王の娘が疫病にかかり、オマールが祈祷により病を癒したところ、その娘に恋をしてしまいます。それによりモカを追放されてしまったオマールは山中での生活を余儀なくされてしまいます。
山中で食べ物もろくに採取できなかったオマールはある日、小鳥が元気にさえずっていることに気づきます。その小鳥が食べていた赤い実を自身も食べてみると、たちまち元気になることを感じました。…これは空腹ゆえに摂取したのでまだ納得できますね。
驚いたオマールはこれをスープにして、モカの街に持ち帰るとその功績が認められ、モカの街に戻ることを許されたのでした。…モカの町民にどのようにして飲んでもらったのかは疑問が残るところですが…。
現在のコーヒーになるまで
上記の説ではどちらもコーヒーの実を食すことでコーヒーの効果を確認しています。現代において食べることのないコーヒーの実ですが、おそらくそのままでは味わいとして微妙だったのでしょう。
コーヒーの実は発見されてから、割と早い段階で、その実をすりつぶし脂と混ぜ団子にして食べられていました。その後、葉と混ぜて煮出すようになり、次第に実を乾燥させていくようになったと言います。
世界初のコーヒー店はカイロ
世界で初のコーヒー店はカイロで始まりました。イスラム教全土に広がっていたコーヒーは当時薬としての効用が広く認知されていました。
カイロでは1510年頃その人気から世界初のコーヒー店を生み出します。
現代のコーヒーの形を作ったのはフランス
その後、トルコへとコーヒーは普及し、イギリスに広まったのち、フランスでも普及するようになります。現代コーヒーのような濾す形になったのは17世紀のことでした。フランスの名もないブリキ職人がたまたま、カップに布袋を垂らし、コーヒー粉をいれ、熱湯で濾すかたちを考案したのです。
いわゆるネルドリップの形ですね。これにより、現代のコーヒーの形が出来上がったとされています。
まとめ
コーヒーの起源には諸説あり、上記で述べたもの意外にも山火事説など多数存在しています。ただ、やはり有力なのは上記の2つですね。
今後研究が進められ、よりはっきりとしていったら面白いなと願うばかりです。
私自身も起源について学んだのは6年前とかなり前ですが、今でもこの説が有力ということは今後もこの説が覆ることはないのではないかなと思います。
この記事を書くにあたって参照させていただいたものを載せておきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。良きコーヒーライフを。
コメント